唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

宇野くんと野中さん 東洋哲学と思想の強さについて

「わたし、最近、ソクラテスとかデカルトとかカントとか、ヨーロッパの思想を勉強してるのだけれど、一つ疑問に思ったことがあるの。」

 

「唐突だね。なに?」

 

「いわゆる西洋思想は、たしかにスゴイ。とてもロジカルだし、神の概念なんかも思想を強固なものにしていると思う。

アリストテレスだとかライプニッツだとか、本当に賢い、優秀な人類だったんだなと思うの。

たしかに、わたしは、哲学者の考えたことと彼らの知能を、尊敬するわ。」

 

「そうだね。恐ろしいほどの知性の働かせ方だよね。彼らは往々にして、財産を持っていたり貴族であったりしたから、単純な労働をしなくてすみ、余暇の時間を多く持っていたことや幼少期からきちんと教育を受けていたことも、彼らの知性の素晴らしさに起因していただろうね。」

 

「でも、でもね。

東洋にも、きちんと思想が在ると思うの、

孔子だとか、墨子だとか、老子だとか、釈迦のインド仏教だとか。

禅の考え方、老荘思想儒学の考え方も、立派な思想だと思うの。

哲学、というと、即西洋思想になりがちだし、これはわたしのステレオタイプかもしれないけれど、東洋の思想家よりも西洋の思想家のほうが立派、東洋思想は西洋思想よりも弱い、とこういうふうに考えてしまうのよね。」

 

「たしかに、哲学はPhilosophy=知を愛する活動、という風に、古代ギリシアで生み出された定義だからね。

じゃあさ、例えば、西洋哲学は神話的要素をできるだけ排除して、人間の理性による論理だの推論だのによって、学問的な特徴を帯びている。

この点で、西洋思想は東洋思想を優越している、なんて考えたら、どう?」

 

「論理とか、理性とか、推論とか、こういう考え方自体が、西洋流じゃないかしら。

三段論法だの、客観的だの、こういう方法で導き出したものが、より真理に近いのだ、と判断すること自体が、西洋流なんじゃないかと思うわね。

だって、別に、世の中に説明をつける方法論は唯一、論理の活用だけだ、というふうにはいえないんじゃないかしら。」

 

「なるほどね。

思想の優劣を判断する基準そのものを、西洋流においたのなら、どう考えても西洋思想の方に軍配が上がるもんね。

じゃあ、どうやって思想の優劣、強弱を測るの?」

 

「優劣や強弱っていうのは少し違うかしら。

そもそも、思想史は発展的に述べるべきかとか哲学は一つのゴールに向かって前進しているものなのかという、大問題には今は触れないわ。相当な字数を食うから。

優劣や強弱という物差しが在る、とわたしは言いたいわけじゃないの。

今、日本の思想界は、カタカナが踊っている。

研究というと、西洋の思想家に注釈をつけることになっていると思うの。

わたしたちは、西洋の思想を日本を含む東洋に移入することにばかり注力していて、日本独自の思想が胎動しつつある、という印象は受けないのよ。

大学の哲学の講義は、大抵、西洋のものがほとんどだしねえ。

東洋の思想を東洋哲学、なんて言葉で表している時点で、やはり哲学は西洋が主流なのよね。」

 

「たしかにそうかもしれないね。

図書館なんかでも、哲学のコーナーは、西洋の思想家の本のほうが多い気がする。」

 

「こういう現状を、比喩的に、東洋思想が西洋思想よりも弱いと言いたいの。

どうして、こうも東洋思想は脇に置かれるのかしら。

わたしは、老子の道の思想はとても深淵で、興味深いものだと思うけれどねえ...」

 

「僕が思うに、それは思想の定義に関係するんじゃないかな。

思想がそもそも何のために存在するのか、を考えてみる。

思想は、人間の存在や世界に対して、意味を与えることがその使命だと思う。

生きている中で、悩んだり、困ったりすることがある。

そういう問題に対して、ある一つの解決の筋道を示すことが、思想の役割だと思うな。

その筋道が絶対に正しいとは言わない。

けれど、思想が思想としてのちからを持つ、ということは、その思想が与える解決の筋道が、より多くの人から支持を得るということだと思うな。」

 

「なるほどね。

いじめの問題だとか、生き方の問題だとか、そういうわたしたちの悩みを解決に導く手助けをするのが、思想というわけね。

西洋的なものだと、個人主義だとか生命倫理の問題だとか。

東洋的なものだと、慈悲のこころとかね。

確かに、日常、問題を考える上で、西洋の思想を活用して考える事のほうが多いわね。」

 

「そうだろうね。

功利主義や自由、個人主義の考え方が現れた会話を、僕は聞くことはあるけど、老子の道の考え方が出てきた会話は、ついぞ聞かないな。

やはり、どれだけ使われているか、が思想について評価する上で大切なんだろうね。」

 

「うーん、老子もいいのにもったいないわ。」

 

「東洋思想が西洋思想よりも知名度が低い、ないしは研究が進んでいないということが、その要因かもしれないね。

東洋は西洋の帝国主義の介入を受けて、急ぎ西洋の思想だの科学だのを輸入してこれに対抗しようとしたんだからね。

日本の明治維新なんて、その典型だよ。

科学も文化も思想も、あっさり西洋の優を認めてしまって、どんどん取り入れていったんだからね。

この時点で、西洋>東洋の構図ができあがっていたのかもしれないね。

福沢諭吉の脱亜論だとか、アジアを西洋よりも劣ったものとみなして、日本はアジアを脱して西洋に仲間入りするのだ、というのが、時代の趨勢だったわけだからね。」

 

「でも、もう、そんな時代じゃないわよ。

平成も終わるし、21世紀だし。」

 

「平成は余り関係なさそうだけど、冷戦も終わったし、世界は小さな紛争が勃発しているものの、皮肉なことに核兵器によってある程度平和な状態になっていはするから、これから、新しい動きを見せそうなものだよね。

中国の発展もめざましく、アメリカを抜くのも時間の問題だろう、とか、世界システム論的にみても時代の転換期が来ている、なんてことまでも言われているくらいだから、思想上にも何らかの変化があっても可笑しくはないよね。」

 

国粋主義ってわけでもないけれど、わたしは、いつまでも西洋に倣え、だとやっぱり悔しいわ。

東洋思想、はて、日本の哲学がもっと盛んになって欲しいと思っているわ。」

 

注:ある方の話を、僕が誇張して肉付けして書きました。まちがいがあれば、ぜひ教えてくださいm(_ _)m