唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

意識高い系について1

意識高い系とは、どういうものか。

Wikipediaでは、こうある。

意識高い系とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。

(中略)「意識高い系」の特徴として、自己啓発(ボランティア・政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある

 要するに、社会と積極的に関わることで、自らを高めようとする傾向のことである。

これに付随して、社会貢献や環境保護などの理念や、就職を意識する将来志向が、見られることもある。*1

 

こういう傾向を持つ人たちは、ある種特有の雰囲気を持つ。

できるだけ社会と自分との距離を近づけようとするのだから、学生界では使わないような言葉(カタカナ語が多い)や知識を持つのである。

また、社会人的な関係の構築方法と維持方法をとることも特徴の一つである。

ラインやメールなどに、独特な文章の味を醸し出す。

 

このように意識高い系なる人たちは、学生界で見られないような傾向を持っているのである。

ある種、学生界の問題点を浮き彫りにする働きをすることがある。

 

例えば、学生の弱点としては、ロジカルに物事を考える力が弱かったり、言葉のキャッチボールをうまくできない*2など傾向がある。

これらの問題点を、意識高い系は、なんとか改善しようと自己に対して、時として周りの人間に対して*3働きかける。

 

これは、学生にとって、自分とは異なる価値観の混入に他ならず、不快である。

集団は一つのイデオロギー*4を持つ。

それとは違うイデオロギーが、集団内に混在してくることは、好まない、そして排除しようとする。

ここに、学生界と意識高い系との二つの価値観の相違から、軋轢が生じる。

 

そういうわけで、学生界は意識高い系をある種の侮蔑をもって意識高い系と揶揄し、意識高い系も意識高い系でやはり普通の学生をどこか蔑む態度が見られる。

 

であるからして、いわゆる普通の大学生が意識高い系を馬鹿にしたり冷やかしたりするのも、逆に意識高い系が普通の大学生を愚かだと見做すことも、イデオロギー間の摩擦に過ぎない。

だから、意識高い系を、なんだか不快な思いがするという理由や、うざいなどの理由で否定することは、愚かしいことである。

 

こう断った上で、僕の持論を書く。

意識高い系は、愚かである。

これが僕の考えである。

パリピの方が、意識高い系よりも、僕にとっては、何段も愛すべき存在だ。

*1:スタバでドヤマックをしているから即きみは意識高い系だ、とするのは誤りなのだ

*2:相手が示した話題とは関係のない話をするなど。いわゆる、聴く力がないというもの。

*3:グループワークに意識高い系が参加するとそこでの議論に問題点を感じ是正しようとしたりするなど。俺ガイル続6話に見られる

*4:認識の形式ものごとをどう知覚し判断するかの型