唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

ペンについて1 テストとペン

中学時代に、僕は成績の悪さに悩んでいた。

どうしても、テストの点数が70点を超えない。

数学に関して言えば、50点台を叩き出す。

 

当時、ipod touchの第四世代がブーム真っ盛りだった。

みんな持っているのに自分だけ持っていないからクラスの輪に入れない、などと母にとんでもない嘘をついて、1万6,000円8GBのipod touchを買ってもらった。

 

今となっては、もはやスマートホンを使って友達とラインをしたり、ゲームをしたりネットサーフィンをしたりすることは、至極当たり前のものとなっている。

けれども、当時からすれば、メールもゲームもネットも出来るしかも美しい液晶で見栄えもいいipodは、革新的な遊び道具だった。

 

そういうわけで、いろいろなゲームを入れて遊んだり、メールアドレスを交換してクラスメイトとメールのやり取り*1をしたり、動画を見たり、音楽を聴いたりと、娯楽三昧の日々を送っていたのである。

 

テスト期間だから勉強しなきゃとみんな言うけれど、ゲームをしていた方が楽しいじゃないか。

テストがあるならゲームをすればいいじゃない、という論理で、課題のテキストの答えを写すくらいしか勉強をせず、自堕落な生活を送っていたのである。

 

一年生の秋だったか、ついに見かねた父と母が、次のテストで五教科平均70点以上を取らなきゃipodを没収する、などと言い出した。

 

ipodを没収されるのは嫌だ、かつ、勉強をたくさんするのも嫌だ。

そういうわけで、色々と思案して思いついた論理が、以下のものだ。

 

テストを受ける、ということは筆記用具を使って、答案を作成するということである。

みんなはあたかも、自分の脳みそが筆記用具を動かして、テストに解答を書いていると思っている。

そうして、テストの成績が悪いと、自分の頭のせいにする。

 

だが、それを逆に考えてみたらどうだろう。

筆記用具が、僕の頭を動かしめて、答案を書かせるのだとしたら。

そうすると、優れたポテンシャルを持っていて、ようく鍛えられたペンを使えば、必ず成績が上がるに違いない。

 

そうだ、そうに違いない、と決め込んだ中学一年生の青年は、全財産1万円をポッケに突っ込み、近くの筆記用具店へ足を運んだ。

そうして2000円のシャープペンシル*2と5000円の三色ボールペン*3、そして一冊150円もする高級ノートを購入したのである。

 

家に帰って、事の顛末を母に話すと、呆れて物も言えないというようなしかめ面をしていた。

 

 

ペンを買うだけで成績が上がるのなら俺はこんなに勉強に苦労しはしないさ、という声が四方八方から聞こえそうなものだけれども、結論から言えば成績がかなり大きく上昇したのだから、事実は小説よりも奇なりと言えないこともない。

いいペンを買った僕は、ホクホクとして、ペンを握っていたいばかりに、また肉厚で肌触りのいい紙に触れたいばかりに、ひたすらテスト範囲の教科書のページや、問題集の解説文を、ひたすら写していた。

 

ペンが握っていたいという熱望が、これまで1時間*4もじっと座って勉強できなかった人間を、何時間も椅子に貼り付けたのである。

 

英語のlやaを書くのが特に僕の趣向にあった。

スラリスラリと英文を書き写していた。

国語では、漢字をノートいっぱいに細々と埋め尽くすことに快感を覚えた。

 

テスト当日、ペンが解答用紙を快活に滑っていった。

これはいいな、と思った。

 

中学校一年生の秋、初めて定期テストの五教科平均点が70点を超えた。

ipod touch没収はめでたく免れたのである。

 

*1:まだラインやツイッターは流行していなかった。連絡はもっぱらメールであった

*2:Pakerだったと思う

*3:crossの多機能ペンだったと記憶している

*4:嘘ではない。中学時代の僕の集中力の限界は30分程度であった。なお、現在でも1時間がやっとである。