唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

美人について1

だいたい150名くらいだろうか、大講義室で受ける講義は、大変混み合う。

講義が始まる休み時間、ワイワイガヤガヤ、大盛況である。

 

先日、後ろの席から、ひどく面白い話が聞こえてきた。

「◯◯学科、ヤバくね?美人多すぎ。」

「え、マジ!?さすが〇〇学科、意識タカ! △△学部もヤバイぜ?」

「アー、ワカルワー。でもやっぱ、◇◇大の女子と比べたら、密度違いすぎじゃね。」

「そりゃ、◇◇大と比べればそうなるだろ。しゃーないわ。」

「うわ、あの子、やばくね。」

「やっぱ〇〇学科、レベル高いわ。」

 

僕は聞き耳を立てていたわけではない。

彼らは、非常に大きな声loud voiceで喋っていた。

共感してもらえると嬉しいのだが、大学にはエラクデカイ声で話す人がいる。

 

さて、果たしてどんなクールガイなのか、ぜひ拝んでみたかったから、プリントを後ろに回す際に、さりげなく目線をやってみた。

Epoché.*1

 

で、さてここで善良な大学生ならば、道徳的人権的男女同権的に考えて、女子を品定めするなんてエラク失礼なことしやがる、人は外見じゃない中身なんだ、と義憤にかられ、紳士なら女性の弁護に、淑女なら男性の批判を、展開してみせるだろうと思う。

 

これはれっきとした女性差別であり、歴史的に見ても、確かに日本書紀のはじめ、イザナミノミコトからイザナギノミコトにプロポーズしたが、これはダメだ、やり直しだ、となって、逆に男から女にプロポーズすると日本列島が生まれた、などと神話にある。

ここから見ても分かる通り、歴史的に、なぜか男性が女性を選ぶ、みたく変なことになっているが、それはすなわち、男に女を品定めする資格があることを意味しない。

 

以来、鎌倉時代など女性にしっかりと権利が認められている時代も一部あったが、たいていの時代は、女性が軽く見られ、男性優位な歴史が繰り広げられてきたではないか。

 

戦後ようやく、男女同権が主張されだし、そしてフェミニズムの運動も繰り広げられ、安倍内閣総理大臣なんかも一億層活躍時代だ! と脂汗額に頑張って働いてるのに、なんだ、このザマは。

 

講義室の一隅で、女性を品定めするいやらしい男子大学生がいるなど、これは歴史的に見ても国家的に見ても倫理的に見ても、非難されるべき現象である。

 

などと、小難しいお話を綴ってくれるだろうと思う。

がしかし、僕は、ここはあえて、不良な役割を演じてみようと思う。

 

美人とは、どういうことか。

人が、異性なり同性なりどちらでも構わないが、かっこいいとか可愛いとか、美人だと思う時、さて、それは何を意味し、何故そう感じるのか、という問題に対して、ジョン・ロックの第一性質と第二性質の視点から切り込み、さらにその論理を、世の中の俗物的現象に当てはめてみようと思う。

 

つづく

*1:勘違いしてはならない。彼らの顔があまり芳しくないから言葉に瀕して、わけのわからぬ哲学用語を引っ張り出してきたのだろう、と邪推されては困る。ここで、もし僕が彼らの顔をヤバイと評してしまったのだと仮にしたら、それは彼らと同じ行為をしてしまうことになるのだ、と振り返るため首をくるりと回しているまさに途中に気がついて、こんな言葉で頭の中を覆ったのである。