唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

美人について2

美術館に行くと、絵がずらりと並んでいる。

美術館に行かずとも、画集を見れば、ゴッホだのピカソだのミケランジェロだの、有名な芸術家が描いたゲイジュツ作品が載っている。

 

正直に言えば、僕は、ゲイジュツがわからない。

ゴッホの絵とピカソの絵を並べられて、さ、どちらが美しいか、と聞かれても、ちょっと首をかしげて、苦笑してそれきりだと思う。

また、無名の画家の絵と、有名な芸術家の絵を並べられて、さあ品定め! などと言われても、多分、当てることはできまいと思う。

 

このような、ゲイジュツの品定めを、テレビ番組として放映してるものがあったと思う。

芸能人の格付けチェック、だったか。

ワインだの肉だので、高級品を見分けるという企画であったが、これがなかなか当たらない。

 

もし、これを絵画だの陶器だのでやったのなら、さらに当たらぬこと間違いなしだと思う。

 

つまるところ、人は芸術に対する鑑定眼を何の訓練も積まないのなら、有さない。

鑑定の勉強をしたり、芸術史を勉強したりして、やっと芸術とは何か、美しいとは何かが、判じることができるようになるようだ。*1

 

ところが、人、特に異性に関する鑑定眼はどうか。

男性は女性を、女性は男性を、かっこいいだの可愛いだの判定する際、何か基準の勉強でもしただろうか。

例えば、顔の形は黄金比を描くと美しいのだが*2、この人とあの人とではこの人のほうが黄金比に近いな、などと定規か何かを人の顔に貼り付けて判定しているだろうか。

 

していないだろう。

そして、当然、美人の判定方法など考えたこともないはずだ。

直感的に、器量がいいなとか、そうでもないなと判じるはずである。

 

どこを見て、そう判定しているか、と問われれば、多分、その人間の身体全体だと思う。

まさか、鼻の形だけで人の器量を判断したり、口の形だけで判断したりする人はいないと思う。*3

 

顔の形、皮膚の色や質、髪の毛の形や色や質感、顔のパーツのバランス、まぶた、眉、まつげなど。

また、服装も大きな判断要素に違いない。

加えて、歩き方や動き方、声の大きさ、口調などなど。

 

極めて複合的な要素から、人の魅力だの器量だのを判断していると考えるべきだと思う。

こうした外見的な特徴を、一目で処理して、頭の中でその人物の魅力度の強さを感じ取っているのだと思う。

人を美人かどうか判断するのに、10分や20分かけたりはしないだろう。

考えてそう判断するのではなく、やはり直感で判断しているものと思う。

 

そうして、そのような直感が、生得的だか後天的だか、人が持っているのはなぜだろうと考えれば、必要だから、という結論に着地すると思う。

陶器の良し悪しやら、絵の良し悪しは、別に分からずとも生きていくことができる。

 

けれど、目の前にいる人間が、敵か味方かの判断は、必ず必要だろう。

人は見た目ではないというが、見た目を直感する力は、生存戦略上どうしても必要不可欠な能力だったのではないかと思う。

 

法律が制定され、国家が成立し、教育がなされている現代社会にあるから、もはや目の前の人間から危害を加えられることもなくなった。

そして、当然、目の前の人間が自分に害を与えるような人間かどうかは、身体的な*4理由においては判断保留でよろしい、とこうなった。

 

それでもやはり、生存上、異性に対する判断はどうしても必要であるようである。

自分のパートナーとしてどうか、という判断のためである。

なお、遺伝的な要素や優生思想的な要素は、あえて保留にする。

 

別にここまで、生物的な方向に行かずとも構わないが、なんにせよ、人は異性に対して美しいかどうかを判断する判定眼をなぜか持っている事実は、動かない。

これを、ロックの第一性質と第二性質に当てはめて考えてみる。

 

つづく

 

*1:とは言っても、美しさの基準はそれでも異論反論諸説たくさんあるようで、単純に順位付けできないようだ。文学で言えば、自然主義ロマン主義か、どちらが真の芸術か、なんて話でもめたらしい。確かに、芥川賞の選定なんかでも大分意見が割れる。

*2:モナリザの顔は黄金比である。

*3:いや、いるかもしれない。鼻には魔力があるのだ、と誰か言っていた。源氏物語の鉤鼻とか。とはいえ、鼻だけ、というわけではないだろう。

*4:突然襲ってくるとか、殴りつけてくるか、などの危険性は法律で、ダメだと書いてあるから、恐れる必要はない。だが、精神的に害を及ぼすかどうかの判断は、今でもいや昔以上に必要になりつつあると思うが、保留。