唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

日本語は文化的に先進か?各国の出版タイトルデータから比較検討する。

「俺は日本人だ、そして俺は日本語を話して書いて読む。

なのに、どうしてわざわざ他所の国の言葉を勉強せねばいかんのだ。」

とこう、昨年度は妙に日本語に固執して、英語の「え」の字も頭になかった。

英語を勉強したくない、という怠惰である。

ぎゅっとeなる英語教材に対する反抗精神である。

 

けれど、最近、英語で勉強しようと、思うようになってきた。

本の出版という観点から、英語で勉強しようと決めた屁理屈を書く。

 

以下、出版数や冊数は、出版された本の種類の数。発行部数や販売部数ではない。 

目次

タイトル数比較*1

1.中国での出版冊数→440,000

2.アメリカ→304,912

3.イギリス→184,000

(2位アメリカと3位イギリスの合計)→484,8912

4.日本→139,078

5.ロシア→101,981

6.ドイツ→93,600

;;;;;;

8.フランス→77,986

10.イタリア→61,966

これは、各国で一年間に出版された、本のタイトル数である。

例えば、中国では、年間に44万タイトルの書籍が出版されたということである。

ランキングに入っているだけでも、英語で出版されたタイトル数は、日本で出版されたタイトル数のおよそ3倍である。 

これはなにを意味するか。

 

一年間に創造される情報量*2が、日本語と英語とでは、3倍も差がある*3ということになる。

日本語で読書する人と、英語で読書する人とでは、選択できる情報の幅が、3倍違うということになる。

 

それだけではない。

一年間でこれだけなのだから、これまで出版された本の種類も、3倍である。

愚であるが単純に比較してみると、過去20年で、英語で読める本の数は、1千万なのに対して、日本語で読める本の数は、300万である。

損してる。

国民一人当たりのタイトル数の各国比較

「いや、待ちたまえ。そもそも、人口が各国で違うのだ。

日本語での出版数は確かにアメリカやイギリスには勝てない。

しかし、人口が日本は少ない、その割にすごい出版数じゃないか。

日本は文化大国、出版大国なのだ。」

さて、どうだろうか。

各国のタイトル数を、人口で割ってみる。

なお見やすくするため、数値は、(Titles/Population)×1000

1.中国→0.31

2.アメリカ→0.93 

3.イギリス→2.83

(2位アメリカと3位イギリスとの平均)→1.93

4.日本→1.03

5.ロシア→0.70

6.ドイツ→1.14

;;;;;;

8.フランス1.18

9.イタリア1.03

この数値が大きければ大きいほど、国民一人当たりに対しての出版された本のタイトル数が多い、ということ。

要するに、読める本の種類が多いということ。

見てみると、日本は1.03である。

この数値は、特段大きいものではない。

イギリスの2.83には到底及ばぬし、ドイツやフランス、イタリアに関しても同水準である。

 

では、言語的に比較してみる。

日本語と英語とでは、どうだろうか。

英語がアメリカとイギリスの平均をとって1.93であるのに対して、日本語はそのまま1.03である。

国が違うことを考慮して見ても、やはりこの事実は大きい。

 

国民一人当たりの出版書籍数から見て、日本が文化大国だ、などと言う主張は通らない。

情報の輸出数 どれだけ翻訳されているか

「いやいや、出版されたタイトルの数など、どうでも良いのだ。

日本語で出版された本は質的に、素晴らしい。

日本語の本は、世界中で翻訳されて読まれているのだ、そうだ、そうに違いない。

日本語で書かれた本は、世界的に先駆なのだ。」

 

では。以下順位の順に、その言語から他の言語へ翻訳されたタイトル数(累計)。

いわゆる、輸出数である。*4

1.英語から→122,5237

2.フランス語から→21,6624

3.ドイツ語から→20,1718

4.ロシア語へから→10,1395

5.イタリア語から→66453

6.スペイン語から→5,2955

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8.スウェーデンから→3,9192

9.日本語から→2,6921 

英語との差は、60倍である。 

日本語で書かれた本が、全然輸出されていない。

 

日本で出版された書物が、他の国にとって翻訳するほどありがたがられていないようだ。

日本語よりも出版数が少ない、イタリア語やフランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、スウェーデン語に、結構な差をつけられながら、敗れている。

日本語で出版される書籍の質が悪い、とは言えるかもしれないし、言えないかもしれない。*5

一つ確実に言えるのは、日本語の書籍の影響力が、小さいということである。

 

情報の輸入数 どれだけ翻訳しているか

「いや、待て。輸出の数など、どうでも良い。時代は、グローバリゼーションなのだ。

そもそものところ、日本は輸入大国なのだ。

かなりたくさんの本が、日本語へ翻訳輸入されているのだ。」

 

では、以下、翻訳輸入の数(累計)。やはり、順位の順に。*6

1.他の言語からドイツ語へ→29,2124

2.フランス語へ→23,8463

3.スペイン語へ→22,8910

4.英語へ→14,6294

5.日本語へ→13,0893

どうして、日本語が、ドイツ語フランス語スペイン語に負けているのか。

これは、日本語で出版される本に対する、外国語から翻訳された本の割合が小さいことを意味する。

つまり、ドメスティックな情報ばかりが発信されていることになる。

ちなみに、中国語は、中国が出版タイトル数第一位にもかかわらず、本の翻訳輸入数では第13位である。

 

これは問題だ。

日本語で書かれた本ばかりが出版され、外国語から翻訳輸入されてこない。

外国語では、よりたくさんの本が、他言語から輸入されている。 

日本語の情報圏が閉鎖的であることを意味している。

 

日本の問題点(?)

現在、日本は世界第3位の経済大国である。

そして、科学大国である、と言われる。

日本の科学技術はトップクラスである、誇るべきものだ、と本当かどうかわざわざ調べたことはないが、そう聞かされて育ってきた。

 

が、しかし、文化的に、日本は先進国だろうか。

量的に日本で出版される本を分析してみると、単純な出版部数では英語書籍に圧倒的に大差をつけられ、また国民一人当たりの出版部数においても、イギリスの半分、ドイツやフランスなどと同水準である。

質的に見てみると、日本語から他の言語へ翻訳される本の数は第9位、しかも英語には60倍、ドイツ語には10倍、ロシア語には5倍もの差をつけられ敗れる。

ここから見ても分かる通り、日本語で生み出される情報の影響力は、極めて小さい。

 

かといって、日本は、他の国から情報を積極的に移入しようという傾向もない。

他の言語から日本語へ翻訳される本の数に関しては第5位であり、ドイツ語フランス語スペイン語に2倍ほどの差をつけられ、敗れる。

 

総じてみると、日本語の本は他の国へ翻訳輸出されていない、かつ、他の言語から日本語へ翻訳輸入される数も比較的少ない。

日本の中だけで、情報が創られ流通しているようにも見える。

比較的に、鎖国的である。

 

人間の知性を形づくる本がこれほどまでに、ドメスティックなものであると、ステレオタイプが生じあるいは、視野が狭くなってしまう。

鎖国下において、本の輸入が制限されていた事情を見れば、本の輸入と国力の減衰の関係は明らかである。

 

とまあ、自分の国の欠点をつらつら書いて見たのだが、やはり不快である。

僕の母国は日本だし、母語も日本語である。

文字通り「母」をけなすようで、非常に嫌な気分ではある。

愛国心、というものかしらん。

 

しかし、どうもおかしいぞ、との思いが勝る。

日本語の書物は他の国から重宝され翻訳され読まれるわけでもなし、かといって他の国から書物を翻訳して学ぼうというわけでもない。

そういう現状が、ある。

単に自分たちの国の中で自分たち独自の視点で、情報を書物の体で出版し、満足しているように、数字から推測できてしまう。

この意味で、ドメスティックなのある。

そして、それゆえに、不快なのである。

 

なぜ僕が英語を学ぶ気になったか

翻って理由に戻る。

以上のことから、日本語でなにかを学ぶ、知る、考える、という点において、英語に劣っていると言わざるを得ないと思う。

それは、単に出版される本の数、という単純な数値的な意味以上に、多様性や相対性の点から見ても、明らかだ。

知性を磨く、という点において、日本語は環境的に、英語に劣っている。

 

英語を勉強して、就職やビジネスに活かしましょうとみんな言う。

テレビも電車の吊り下げ広告も、学校の先生も、言う。

けれど、僕はそれは表層的なものに過ぎないと思う。

英語を勉強するというよりも、むしろそれ以上に

英語で勉強するのである。

手段と目的が曖昧になりつつある、というよりも、倒錯させられているのではと邪推してしまう。

 

TOEICやらTOEFLやらで、資格を得るために英語を勉強したところで、一体どんないいことがあるのか。

3000億円規模の英語産業市場の、一人のお客様になったってしようがないじゃないか、と僕はひねくれて、絶対に英語塾やら英語教材なんか買うものか、と不貞腐れている。*7

 

量的には多く、質的には多様な英語の出版本。

量的にも少なく、質的にもドメスティックな日本語*8の出版本*9

  

以上が、僕が英語を勉強しよう! と思うようになった「屁理屈*10」である。

 

注)

データの比較に関して、年度が違っていたり、出版数に再訂本を含んだり含まなかったりするので、数値はおおよそ目安として、見てもらいたく思います。

また、だからどうした、という話なのです。

だから、こうしろああしろ日本沈没だ、なんてことを言いたいわけではありません。

これはあくまで、僕がなぜ英語を勉強するのか、の理由付であって理屈付けであって、やはり屁理屈以上のなにものでも、ないのです。

や、あいつ、日本を侮辱しやがった、非国民だ売国だなどと思わないでいただきたく思います。

参考)

https://en.wikipedia.org/wiki/Books_published_per_country_per_year

ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧 - Wikipedia

長岡半太郎 - Wikipedia

http://language.media.mit.edu/rankings/books

参考ツイート

*1:年度を統一せず。年ごとにタイトル数が大きく変化するとは考えづらいから。あくまで目安として。https://en.wikipedia.org/wiki/Books_published_per_country_per_year

*2:ウェブ記事、オンライン動画、ラジオやテレビ、映画。正直、これらを足し合わせて、言語ごとに比較なんかしちゃったら、大変な数の差が見えそうで怖い。

*3:差があってなんだ、別にいいじゃないか、日本語で済ませることができるのだから十分だろう、と僕も初めはそう思っていた。英語の先生が、なぜ言語を勉強すべきか、なんて題で相対的思考、視野の拡大なんて、コムズカシイお話をしていた。やはり、狭くて品揃えの少ない小さなお店だけで選ぶよりも、できれば広くて品揃えが多い店で、服やら家電やらを選んで買いたいと思う。こういうことだろうと思う。

*4:出典→http://language.media.mit.edu/rankings/books

*5:日本語は、ヨーロッパ圏内の言語と比べて祖を異にしていることもあり、翻訳がしにくいという。(だが、ロシア語はどうなんだろうか。)また、難しい言語とも言われているから、翻訳者の数も少ない、ということも考えられる。長岡半太郎のように、素晴らしいのにも関わらず周知されていない、ということも考えられるから、ここは即断できまいと思う。

*6:出典→http://language.media.mit.edu/rankings/books

*7:あなたの発音大丈夫?とかこれからの時代は、英語だ! とかあるいは、決め手は英語力、とか、見聞きすると顔をしかめたくなるのは、多分、僕がひねくれているからだと思う。

*8:ただし、思想的なもの事実的なものに関するものについて。文芸に関しては日本語の方が、好きだ。英語で小説を読むよりもやはり日本語で小説を読みたい。これは、やはり日本語のリズムを美しいと思う、環境的あるいは国民的な感性のあらわれ、だと思う。

*9:出版社のせいではないと思う。それだけ以上のものだと思う。国民や国家やの下に脈々と流れる「なにか」が原因だろうと思う。

*10:なぜわざわざこんな屁理屈を考えないと実行する気にならぬのか、先生の言う通りまた親の言う通りに、やるべきことをやればいいのだ、と言われることがままある。学校の課題も、なぜこれをやるのか、などと考えて、意味がないと判断したらやらない、と言う高校生活を送ってきた。どう言うわけか、モラル的なものを除いて、理由や意義がないと、苦労する気にならない。欠点だろうか。ある人から言われた言葉「理屈っぽい男は嫌われるよ」