唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

感傷的、あまりに感傷的

※以下、不快な駄文が、くたびれるほど続きます。
先に謝ります、ごめんなさい。

 

へ? 楽しようってんですかい?
そりゃ、へへへ。
どうぞやってください。
できるだけ、短時間小労働力で済ませたいんでしょう。
短く軽く小さく薄く。
省エネでさあ。
環境にもいいじゃあないですかい。

え?なんです?
楽をしながらも、苦しんだ人なみいやそれ以上のものを得たい、ですって?
楽することを蹴り飛ばしてまで、苦しみを選んだ努力家どもに勝ちたいって?
しかもできるだけ、早急かつ簡単に?

そんな涙ボトボト落としながら言われても困りますぜ。
泣かんでください。
なに?早く追いつきたい、負けているのが悔しい、すべきことを最速でやってしまいたい?

なるほど、そりゃ、焦りってもんですぜ。
あっしは、社会的に地位は卑うござんすが、これだけはわかります。
お偉いインテリゲンチュアはモノゴトを妙ちきりんにムツカシク考えちまうからいけねんだ。
頭のキャパシティーを越えたら、メソメソ泣いちまうんだからしゃあねーや。

いや、いや、旦那のことじゃありませんよ、ほら、こいつで涙拭いてください。
ぷ! お鼻の先端から涙、ぼたぼた垂れてやがる。
ゆるゆるの蛇口から溢れ落ちる水滴見てえで可笑しゅうござんすよ。

シッケイ、シッケイ。
あっしはね、旦那。
真面目に働きますぜ、旦那みたいに不真面目に遊んで暮らしていたら、不幸になりますぜ。

 

「あんたは所詮、キリギリスさ。
もう、冬だぜ。」

 

ラクをしても、いいのではないでしょうか。
サボタージュ、大いに結構ではないでしょうか。
マジメはとても素晴らしいことですし、綺麗な美徳だとは僕も思いますけれども、世界中の大人も子供も老人もみんなで一緒に目指すべき憧れのマトなのでしょうか、僕は大いに疑問なのです。

アリとキリギリス、なんて話がありますね。
あれ、キリギリスは芸術家でアリは労働者、という設定ですけれども、僕は逆だと思いましたね。
真面目なのは、実は芸術家なのではないか、とことん真面目なんですな、実は、僕の知る限りですけれど。

アリとキリギリス、真面目に働いているのはアリです、そうでしょう?
労働のほとばしる美徳の体現者たるアリの背中に万歳!

キリギリスはただまずいバイオリンの音をブーブー鳴らしているだけでした。
なんの富も生みません、社会の役にも立ちません、働かざるもの食うべからず、冬には凍えて死にました、めでたし、めでたし。

けれどキリギリスが死んだ後で、ちょっと僕は考えて見るんです。
キリギリスが冷たい白銀の雪の上で、ブルブル震えながら死んでゆくブザマさをアリは仲間うちで宴会の肴にでもしているのでしょう。
暖かい暖炉のそばにゆったり座って、うまそうな湯気をたてている料理を山盛り、むしゃむしゃ食いながら、酒でも飲みながら談笑しているのでしょう。

 

 

芸術の舞台にたった役者はみんな、必ずいつかは舞台を降りる。
降りたあと、役者は一体なんなんだ。
「俺は役者なんだ」
地面を見つめて何度もなんども繰り返し一人つぶやきながら、フラフラと千鳥足で歩く男がいました。
なんでも彼は、舞台の幕が下りたあと、他の役者はみんな舞台を降りて楽屋に戻って談笑しているというのに、駄駄を捏ねるお子様みたく、「俺は降りないぞ、降りないぞ、なんで降りなきゃいかんのだ!」なんて、おいおい泣きながら騒いでいたのだとか。
結局、屈強な警備員三人に無理やり舞台から引き剥がされて、外におっぽり出されて帰路についた彼は、バーに逃げ込んで酒をしこたま飲んだとか。
彼は、多分、舞台を降りても演じ続けているのでしょう。

そうして、いつか、必ず、疲れます。
彼も事実、疲れました。
「もう疲れた、演じ疲れた、もう、降りるよ。」


ここでようやく気づいたのでしょう。
自分には舞台裏も楽屋もない、という事実に。
そして、もう、手遅れだということにも。

で、ニヤリと不気味で恐ろしい笑みをじわじわ顔に浮かび上がらせて、
「最後の演技だ。皆々さま!その目にしかとやきつけよ! 俺は役者だいつまでも」

こんなことを呟いて、川にでも身を投げるのでしょう、実際彼は身を投げました。
もう、それから、70年になりますか。

 

 

のおべる賞をとったご老人はガスをたらふく吸って死にました。

 

みんな、真面目に生きようとしましたし、生きねばならぬと思ったのでしょうか。
僕にはわかりかねますけれど、多分、真面目だったと思いますよ。
何万冊、何十万冊って数の本を、神妙な顔つきで読んで、机に頬杖をついて万年筆を握った右手で原稿用紙の小さな小さなマスに、文字を書き込んでいったのです。
こんなことを、誰かに指示されたわけでも、報酬を約束されたわけでもないのにせっせと死ぬまで続けていたのです(ここがいわゆる労働と大きな違いではないか、と僕は邪推しています。シャチョーさんやブチョーさん、オキャクさまの指示に従って、イヤらしい笑みを顔に浮かべてヘコヘコしてれば、とりあえず労働していることにはなる、と聞いていますが、違いますか?)
こんなこと、真面目でなくて、どうしてできましょうか。

僕は受験勉強なんていう、彼らからしたらちょっとしたお遊戯みたいなものですら、大変むずかしくて、苦痛で、死ぬかと思いました。
みんな、キライだヤリたくない、といっていましたし、持久走大会を終えてぜいはあ肩を揺らしているマラソン選手の顔見たく苦しそうでした。

真面目に生きる、なんてもう可笑しくて可笑しくて、笑いが止まりません。
深刻な顔で一人の男が僕に語ったセリフが、こうでした。

「真面目に生きる、これこそが美なのさ。
全力を尽くす、何にでもね。
一見くだらないように見える単純作業も、人生の大切なカケラの、ひとつさ。
かけがえのない、ひとときひとときの、時間を大切に、優しくなでるように、それでいて全ての力を振り絞って、生きることだ。」

ぷ! 僕は今思い出しても、可笑しくて可笑しくて、腹を抱えて笑い転げて、本当に今座っているオフィス・チェアから、するんと床に落っこちてしまって、それでも笑いは止まらなくて、冷たいフローリングの床の上で少しの間、ゲラゲラ声を上げて笑っていました。

ゲイニン! ゲイニン!

涙が出ました。

 

馬鹿は真面目の幼虫です。
馬鹿が脱皮して、真面目がめでたく生まれるのです。
真面目が美徳とされるのは、エライからじゃなくて、ただ側から見ていて気持ちがいいからです。
真面目には利用価値がありますからねえ、と太ったブルジョアジはワイングラス片手に、六本木ヒルズから銀座の夜景を見下ろしながら、テカテカと艶かしく光る女の長い黒髪を撫でながら呟いてます。

真面目を極めて行き着く先は、ブロジョワジに寄生されるか、自殺するか、発狂するかのいずれかではないでしょうか。

ならば、どうするか。
無関心、皮肉、逃走、怠惰、敬遠。
こいつらの価値を、僕は、真面目の価値以上に信じたいと思います。

 

嘘つき!
ピシャン!

 

以上、茶番。以下、本番。

お酒をたくさん飲んで、暖色の薄明かりの下、綺麗にほおを赤く染めて、恥ずかしい話をしている若い人たちの会話を、こっそり聞きました。
恥ずかしいといっても、紅潮して黙り込んでモジモジしてしまうような恥ずかしさではなくて、本音、そうです、本音を話してしまったどうしよう、というような戸惑う恥ずかしさです。
彼らは、顔や腕や指をくねくね運動させながら、悲惨な過去を物語る老人みたいに、朝まで語ろうぜ!と声をあげて、みんなで楽しく泣いてました。

本音を話したくて仕様がない人たちがたくさんいるのではないですか?
「わたしはこんなにも深遠で弱くて脆くてそれでもガンバって真面目に、辛くて挫けたくなる日々を精一杯生きているの。」
と女々しさや弱々しさを、思いっきり吐き出してみたい、そんな考えをどこかに嗅ぎつけてしまうのは、僕の自意識のせしめるいたずらなのでしょうか。

そうかもしれませんが、僕は実際、そんな話をしている人の会話を聞いてしまいました。目撃してしまいました。

「本音を言葉にするのはとてつもなく難儀なことだ。
しかも、本音は醜くてなんだか臭う」

本音を小説にした作家、太宰治
彼の弱さと、文章の優しさ。
太宰治全集をついに読み終えた、という話でした。