唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

聖者の笑い

驚いた。
大学の講義にて、先生が始終笑っていたことに驚いた。
何やら、社会福祉の話をしているらしいけれど、とにかくどこを目指して話しているのか、掴めない。
掴めるのは、ただ、先生が笑っているということだけ。

笑うのにはとてつもないエネルギーが必要だ。
ほおを上に持ち上げて、目を曲げて、口角を吊り上げる、さらに声を上げる、ヒヒヒみたいに。

多分、先生は年が年中笑って過ごしているに違いない。
だとすると、先生は僕らの何倍ものエネルギーを消費して、日々生きていることになる。

聖者の笑いだと思った。
笑いを生み出す無尽蔵のエネルギーに敬礼したい。

 

で、今日、さらに驚いた。
先生が紹介した思想家について、ちょっとした論文を読んで見て驚いたのである。
その思想家の名は、イリイチ
イヴァン・イリイチ

系統的には、マルクスと同じ系統に位置する、と僕は勝手に位置付けた。
つまり、今の社会はクソだから変革を!と世界の中心で叫んだオトコだ。

「学校はいらない。学校は、人々が本来有している自発的な学びという価値を、制度化して道具化して、専門家の権威を利用して、奪うトンデモナイものだ。教会と同じだ。」とか
「産業消費社会、つまり、ものを市場に供給してもらうことが当たり前になっているこの社会の仕組みそのものの根源を辿れば、学校という制度が人に植え付ける暗黙的な価値観がある。つまり、学びは学校という制度を利用しなければ得ることのできない価値である、そして、学校で教育を受けることは本来ムチな私たち(原罪→原愚)を矯正してもらうことになるのだ」とか
「学校という制度は、いずれなくなるし、なくならなければならない。学びは人間が自らの力で行うことのできる行為であって、決して学校に行かなければなし得ぬ行為ではないのである、そうして、学校という制度は資本主義の発達における産業社会の形成に貢献する召使い的なポジションにあるのではないか。」

とまあ、こんな雰囲気のアブナイ思想を語る思想家であったから、驚いた*1
だって、昼下がりの大学の講義室の一角で、始まりのチャイムから終わりのチャイムまで終始ニコニコ笑って講義をする先生がオススメする思想家は、「学校不要!」と叫んでいるのだ。
大学教授が大学の講義で(学校制度におけるある意味で上位的地位にある旧帝大)学生に、学校という制度が不要であり無益である、みたいなことをいう思想家について授業をするのだから、驚いた。

こんな面白い裏切りがあるのだから、大学も、捨てたものじゃないなと思う。

*1:厳密には、学校制度を廃止しようという趣旨であるとされる脱学校論は、教育制度的な問題に主眼を置いているのではなくて、教育を批判することによって産業化した社会構造を批判したのである、のだそうな。