唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

真面目君と友達の短編小説

「彼はね、ロクなやつじゃない、毎日毎日、誰とも喋らず笑わずいつも仏頂面で黙りこくって、テストの点数高いだけが取り柄の、真面目くんなのさ。クラスのみんなが思っている通り、彼はね、ひどい人間だよ。この学年にはね、400人以上もいるのにね、彼には友達の一人もいないのさ。部活にも入らない、強制参加の委員会では沈黙を貫き通し、昼休みには一人で自分の席で黙々と飯を平らげ、残った時間中、ずっと単語帳を眺めていやがる。登下校はいつも、イヤホンを耳につけて、俯き加減でつまらなさそうに登校する。

これほどまでにつまらない人間がいるかな、俺はいないと思うね。彼はさ、俺のクラス40人のうちの一員なのだけれど、彼の席一つ分、損害だよ。彼じゃなくてね、例えば山田とか加藤とか、面白くてイイやつがクラスに入れば、クラスの雰囲気や俺の毎日の学校生活は今以上に楽しくて、最高のものになっていただろうさ。だってそうだろう? 休み時間もイベントも部活にも参加せず、黙りこくってコミュニケーションをとることのできない陰キャラがクラスにいればいるほど、クラスの楽しみは減少するじゃないか。彼はね、必要のない人間なんだよ。クラスの雰囲気や楽しみを高める人間が、存在すべきなんだよ。彼のようにね、クラスに対して何ら益をもたらさない人間は、いるだけ損なんだよ。

なるほど確かに、彼が不要な人間じゃないというやつの言いたいこともわからんではない。彼が死ねば、もちろん彼の親や兄弟は悲しみさね。泣くさね。けどね、彼には友達がいないんだ、つまり、彼が死んでも悲しむ人間の数は、他の人間が死んだ時よりも少なくて済むんだ。
人間の価値はね、死んだ時に悲しむ人間の数の総和で決まるんだ。だから、彼の価値と俺の価値は、友達がたくさんいる俺の方がはるかに大きいんだ。親兄弟は誰にでもいるけれど、そして数もそう差は出ないけれど、友達の数は大きな差が出てくる。そして、友達の数というのは、どれだけその人間が、社会に対して楽しみや利益を与えているかを反映する価値の基準なのさ。

そういうわけでね、友達がいない、いや作る気がない彼は、このクラスで、否、この学校で最も価値のない人間だというわけだ。だから、僕は、彼こそが生贄として殺すにふさわしいと思うのだが、どうだろうか、みんな。」

 

「よくもまあ僕の悪口を長々と吐き捨ててくれたものだね、僕は悲しみを通り越してもう、呆れて物も言えないよ。クラス1の陽キャラさん。君は僕に価値がないと言ったね。そして人間の価値は友達の数で決まるとも言ったね。
君のいう通り、僕には友達はいない、この学校にも、もちろん他の学校にもいない。今のところ、僕にいるのはクラスメイトという名の知り合いが39人と、中学の同期という名の腐れ縁、12人くらいなものか、他は親族だ。これが僕の持っている人間関係の全てだ。
僕には友達はいないからね、休み時間になるとすぐさま単語帳を広げてお勉強、移動教室はいつも一人、体育祭や文化祭のイベントごとはことに居づらいものさ。友達じゃないけれど、それでも僕は年が年中誰とも口をきかないことはない、隣の席の男や女と軽い雑談くらいはするよ。席に座って話す、けれど席を離れて親密に話すことはない、だから友達じゃない、うん、確かにこの論理は正解だ。僕には友達はいない。

けどね、人間の価値が友達の数で決まる、とは僕には思えないんだ。人間の価値はね、偏差値で決まるのさ。君たち、おい、クラスの馬鹿ども、阿呆面して鼻水垂らし、クソくだらない会話しかできない、劣ったエセ知的動物諸君、聞きたまえ。
いいかい、もう一度だけ言ってあげよう。人間の価値は偏差値で決まるのさ。学歴、一体どこの大学を出たのか、これで決まる。偏差値はね、しばしば本当の人間の能力を反映していないと批判されるけれど、こうした非難は所詮バカの戯言、犬の遠吠えさ。頭の悪い連中が、みんなちがってみんないい、などという甘ったれた喘ぎ声に興奮して、発情する途方も無い動物的衝動の現れなのさ。いや実にぴったりじゃないか。
動物と人間とを分かつたった一つの分水嶺が、知性だというのにもかかわらず、知性を表す学歴というシンボル、偏差値というバッジを無為にしようとする皮肉さ、僕は可笑しくて可笑しくて、腹が痛い。

君たち。知性こそが全てだ、学歴こそが全てだ。友達が何人いようとも高校を卒業して大学へ行ってしまえば、もうそこで全てチャラだ。いいかい、社会はね、孤独なんだ、大人は孤独なんだ。誰かに助けてもらおうだとか、寂しいから友達と一緒にいようだとか、暇だから遊ぼうだとか、可愛いから付き合おうだとか、こうしたくだらない感情の遊戯にいつまでも興じていたは、仕方がないよ。
誰か他の人間を背もたれにして心地の良い生活を送ることができるのは、高校まででおしまいだ、そこに気がつかずに、友達の数こそが人間な価値だとか吠えるバカに、僕は辟易している。どうしようもないね。ソクラテスの気持ちがわかる気がするよ、洞窟の比喩さ、君たちが見ているものは、全部似絵なのさ。いや、ソクラテスなんて難しい言葉を使っては君たちにはわからないだろうね。広辞苑でも引きたまえ。」

 

「呆れて物も言えないぜ。ソクラテスなんて俺にはわからん、洞窟の比喩なんて知らん、広辞苑なんて引きたくもない。いいか、君の知性に対する絶大な信仰は、所詮インキャの言い訳だ。本当は寂しいんだ。リア充が羨ましいんだ。友達が欲しいんだ。こうした自分の素直な気持ちを、知性で押しとどめて、難しい数学だの物理だの英語だのに没頭することで、現実逃避をしているんだ。勉強することがいいことだ、頭がいいことは素晴らしい、高学歴は価値がある、なるほど、確かにその通りかもしれない。けどね、俺たちは知性を持つ人間である前に、群れをつくって協力して生きる動物じゃないのか。群れに馴染めない動物は、死ぬだろう? 群れには入れず一匹オオカミで厳しい弱肉強食の世界を生き抜くことはできないだろう? それと同じで、知性云々の以前に、まず動物として群れに入れるかどうかが最も大事なのさ。群れの一員として優れた知性を使って、群れにとって益するように振る舞うこと。これこそが、人間じゃないのかい?

いいかい、君。人は人間である以前に動物であらねばならないのさ。君がどんなに頭が良くて知性が優れていようとも、人間にはなれない。君が自らを優れた知性を持つ人間だというとしても、俺は君のことを、一台のコンピュータとしか見なさない。君が誇る知性とやらは、動物に宿って初めて役に立つし、動物に宿るからこそ人間になれるんだ。君に友達がいないということは、群れに属していないということ、つまり、群れをなすヒトという動物として大きな欠陥があるということ、そんな欠陥品がどんなに優れた知性を誇って学歴をとって、俺は頭がいいんだぞと誇ったところで、どんな人間が君を尊敬試合氏ついてこようと思うだろうか、誰もいまいよ。

今、俺たちクラス40人のうち一人を、学校に侵入した殺人者に生贄として引き渡さなくてはならない状態にある。俺は、学級委員長として、君を推薦する、君は確かに優れて頭がいいけれど、君の価値はゼロだ。死んでくれ。いや、死ね」

「じゃあ僕は、学級委員長なのに赤点を量産する、脳筋君を推薦しようじゃないか。多数決だろう? さあ、みんな手を上げてくれ、この脳筋を差し出すべきだと思う者? いやいや冗談でしょう、どうして誰も手を上げない、これから先社会に対して大きな利益をもたらすのは、僕のような頭が良くて優秀な人間に決まっているじゃないか、おい、僕は東大に行くんだ、行けるんだ、文1だぞ、日本最難関に受かるんだぞ、全国偏差値74だぞ、学年一位だぞ、そんな僕を殺すなんて、おかしいじゃないか。

ソクラテスの気持ちがわかる気がする、やっぱり、哲人政治じゃなきゃダメだ、民主主義や自由が最高の価値を持つものとするイデオロギーに支配された愚民が跋扈するどうしようもなく愚かな世の中だから、生きていても仕方はないのだけれど、ただ一つ心残りがあるとすれば、こうした馬鹿どもの世界が滅びるその審判の時に立ち会うことができないことだ」

 

ぐちゃ。