唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

自信を持つこと

自分を蔑む人がたまにいます。会話をしていると、妙に自虐を挟んできて、卑屈な笑いを浮かべる人がいます。こうした人は、自分に自信がなくて、かといって目の前の人間を凄いとは思っていないのです。自己に対する自信の欠如と、他者に対する疑惑との間に揺れる不安定な情緒が、自虐グセを生むのでしょうか。

他者を信頼し愛せ、と神様は言っているようですけれども、これはとてつもなく難しいことだと思います。
他人を信じること、理解すること、不可能なことのように思えます。自己と他者の間には、身体的にも精神的にも距離があり、その間を限りなく小さくする努力は、確かに重要ではあります。
けれども、ゼロになるのか、または、ゼロと呼べる域にまで到達しうるのか、考えてみたときに、普通の人には難しいと思います。
普通の人にすら難しいことを、ことにひねくれた僕にできるわけがありません。

であるならば、他人を完璧に信じようと頑張るよりも前に、自己に対する自信を涵養するべきだと思うのです。
自己は、他人程遠い場所にあるのではなくて、いつでもすぐそばにいます。
だからこそ、この自己という厄介な相手を信頼することは、他人を信頼するよりも簡単だと言えましょう。
そして、自己に対して信頼を寄せることができれば、先に述べたような卑屈さや自虐グセは霧消し、他者をも信頼することができるようになると思うのです。
自己を信頼すると書いて、自信なのです。

 

自己とは、自己のみで成立しません。
自己は、他人を媒介として存在するもののように思います。
つまり、自己を信頼するとは、他人と自己との関わり合いの中で自己の地位を十全に確保することができるかどうかの信頼度の強さに依存すると言えましょう。
自己を信頼するためには、他者が自己を価値あるものだ、と認識してもらう必要があるのです。
だから、自分が好きなことを自分のやりたいようにやる、のみだけでは、自己に対しての信頼は生じ得ず、自信は生まれない。これは、単なる享楽である。

好きなことで生きていくだの、自分に素直だの、自己を基準に物事や言動を考えることが美徳だとされる、ある種の個人主義の風潮は、SNSの普及やブログの流行によりさらに強くなってきています。
けれども、こうした、自分の価値を第一に考えよという教訓は、所詮、享楽の皮をかぶせた不完全な価値だと言わざるを得ないと思います。
というのは、自己満足というなの享楽と、他者からの評価が不完全な状態で混合し、いいとこ取りをしているかのように見えて、どちらに対しても重点を置いていないのだから、享楽専門家と価値専門家にあっけなく敗れることは必定なのです。

享楽がしたいのならばゲームやアニメ、映画や芸術など、とことん自己満足の領域に立ち入った方が、他者を排除した本当の自己満足的な快楽が得られましょうし、また、他者から価値を認められ金を得たいのならば、もっと別の資本主義の仕組みを十分に利用した道を歩めばいいでしょう。
何やら、享楽と価値とのいいとこ取りをした、甘言に惑わされる阿呆が、まんまと釣り上げられる惨状が、「好きなことで生きていく」だと思います。

 

ではどうするのか。
徹底的に、自信をつける道を走る。
つまり、仕事、でしょう。
他人に自分の価値を認めさせるために、努力をする。
仕事的な努力を、賢くやること。
誰もがやるような資格勉強でも、英検でも、セミナー参加でもなくて、もっと根本的な部分を磨くこと。
根本的な部分が、なんなのかは、僕にもわかりません、探さなくてはなりません。

仕事と並行して、完全に自己満足の娯楽を楽しむこと。
趣味。
仕事と趣味の両立こそが、自信と愉快とで人生を彩る王道ルートと思われます。
そしてまた、これまた常套句ではありますが、仕事と趣味との位置付けをきちんとすること。
仕事は仕事、趣味は趣味。
この間を目的化するのは、そのどちらかを極めた先にあるものだと思います。
仕事を極めた人間は価値を持ち、その価値を趣味としてまた仕事として発信する。
趣味を極めた人間は価値を持ち、その価値を趣味としてまた仕事として発信する。
この間を極めようとあくせくする人間のやることなすこと、価値を持たず、価値のように偽装したインスタント・バリューを、ブログやSNSで発信し、金を稼いだり、フォロワーを増やしたりしてるように見えてなりません。
こうしたインスタント・ワーカーの周りに集まってくるのは、甘い蜜に誘われてなんの吟味もせずにのこのことやってくるような人たちだから、ああ俺はこんなにも価値があるのだ、と勘違いして、インスタント具合がさらにひどくなっていくのでしょうか。

本当に悲惨は、悲惨だと気づけないこと。
それは、僕のことかもしれません。
いえ、僕のことだと、気付き始めていますから、僕の体をまとっていてた悲惨の汚い鱗が、一つまた一つと剥がれつつあります。
さて、どうしましょうか。