唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

縦書きと横書きについて 読書ノートのあり方

文字とは一つの道具であって、書くとは一つの技術だと思います。
技術である以上、当然、作法や法則性はあって、自然の法則に対して合理的であるように技術は存在しなければなりません。
例えば、ものを投げると言う技術、野球でおおきく振りかぶって足を前に突き出して、腕を上から下へ振り下ろす投球法は、人間の身体を有効に使用するように、淘汰されて今に至ったと言えましょう。ですから、地球上にあるどこの国でもだいたいあの投球法が使用されています。(逆に、人間の体が今のような形ではなく、腕の関節が三本あったり、足がタコ足だったりしたならば投球法は異なっているでしょう)

そう言うわけで、書く、と言う技術に関してもおおよそ世界中で規則性があると考えて良いと思います。人間の精神は世界中どこの国でも、その本質は等しいと思われます。日本人よりもロシア人の方が精神のスピードが三倍早いだとか、アメリカ人の精神の回転方向は日本人の逆だ、とは言えないでしょう。
しかし、文学だの思想だの文化だのを観察すれば、国によって大きく書くと言う技術の法則性が異なっていることは、すぐにわかります。
なぜでしょうか。

文字、すなわち言語が大きく関わってくると考えます。
道具というものは、道具を使用する人間を規定します。例えば先ほどの野球の例で考えてみますと、バットの形が先に行けば行くほど徐々に太くなり、持つ側にグリップがついていて細身になっています。で、このバットとは全く違う形を考えてみます。例えば、羽子板やハエ叩きのようなラケット型であったのならば、その振り方は大きく異なっているでしょう。また、バットに限らず、ボールがゴム製だったならば、投げ方も変わってくるでしょう。

このように、道具の形や質によって、技術そのものが変化し、ゆえに、人間の身体の動きさえも変化する、と言えます。
であるならば、この規則性が、書くという技術にも応用できましょう。
文字の形が違えば、書くという技術のあり方も変わるでしょうし、当然したがって、書くという行為を行う精神の動きさえも変化するでしょう。言語が人間を規定するのだ、と偉いおじさん哲学者は言いますが、なるほど、確かに言えています。

 

僕ら日本人は、日本語を使って書きます。ひらがなや漢字やカタカナを紙に記すことで、思考を展開していきます。この時、当然のことながら、アルファベットを使って書く思考との相違は存在します。使っている記号が違うのですから、仕方のないことです。英作文をしている時の頭の動きと、日本語で作文する時の頭の動きが大きく違う、という経験が大学受験時代の僕にはあります。

さて、今回は問題の所在を、縦書きと横書きの違いにおいてみます。日本語は縦でも横でも書くことができますし、現在では横で書かれることも多いですけれども、本当の日本語は縦書きされるものです。ひらがなや漢字の記号をよくよく観察してみればわかりますが、縦書きに特化されて創出されたものですから、縦で書くと見栄えも筆記速度も上がります。実際に、縦で書くときと横で書くときとで比較してみると、僕は明らかに縦で書く方が、筆記にかかる時間とエネルギーが小さいように思えました。

書物を開いてみると、言葉は縦書きで綴られています。試しに僕の本棚にある本をいくつか開いてみると、横書きで書かれた本は心理学の教科書とプログラミングの教本だけでした。文系的な思考(小説も含む)を身体化するために、主に縦書きの書物が使われます。僕らが本を読んでなんらかの思考をなぞるとき、僕らの精神は縦書き的な運動を行なっていると言えるでしょう。ですから、たくさん本を読む人間の精神というものは、縦書き的な思考を得意とするものと言えるのではないでしょうか。

本というのは、精神を受肉させ身体貸したものだと言えます。ですから、本を読むという行為は、身体化した精神と触れ合うことだと言えそうです。そしてその触れ合う身体が、縦書きである以上、本を読む僕らは縦書きの身体と精神とで向き合っていると考えられます。

 

さてここまで僕は、文字が書くという行為と読むという行為を規定するということ、そしてその行為は、縦書き化された身体と触れ合う以上、僕ら自身も縦書き化した精神を持っている、と述べてきました。
これは当然僕の、勝手な仮説ですけれども、この仮説が正しければ、読書ノートのあり方も自ずから決まってきます。
読書しながら、本の書き抜きをしたり乾燥を書き綴ったりするノートは、縦書きが適切と言えましょう。
本を読む行為は、縦書きの精神の運動を促しますから、その運動とあえて逆の運動を、ノートを書くという行為で促進させたならば、精神活動はやや混乱します。
また、書き写すとき、縦書きの身体を横書きに変換するときに生じる摩擦も気になります。縦書きで認識した文字を頭の中で横書きに変換し、書き綴ることは、文字の処理速度を著しく減少させることになるのではないでしょうか。

 

 

適当に書いた仮説的な記事ですが、気が向いたら「学術的」に調べてみます。