唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

オタクになること 引きこもり、つまりニートについて

二週間ほど、布団の上でひたすら眠り、起きてはアニメを見ては、お菓子とジュースを飲み食いし、眠たくなったら眠る。
一切の本も読まなければ、一切の考え事もしないし、もちろん、誰とも会わない。
日光に当たらないように細心の注意を払って、カーテンを閉めたりドアを開け閉めする。

ただひたすらに、暗闇のなか娯楽に身をひたす。
仕事もしないし、勉強もしない、将来のことや、正しいことや美しいことを考えることもしない。

惰性そのままに、やりたいことや見たいものをみる。
そんな生活。なんら秩序がない生活。

夏休みだからできること、働いていない大学生だからできること、それこそ、引きこもってオタクになってニートになるということ。
その生活の快楽的な一日をここに書いておく。

16時 起床
~20時 アニメ、スマホゲーム
20時 近所のスーパーに食料調達に行く。半額になっている惣菜とジュースとお菓子を買い込んで、徹夜に備える。
~28時 飲み食いしながら、アニメを見るあるいは、ゲームをする。ちなみに、今日のメニューは、ミルクレープ二つ、ポテトチップス、オレンジジュース1L、どん兵衛、惣菜のチキン南蛮、シュークリーム。たぶん、カロリーと糖質、脂質的に大変なことになってるはず。
28時 就寝

 

こんな生活を、夏休み最終週二週間ほど送っている。
アニメも、多分、大体の有名タイトルは見尽くしている。
オタクの友達がいないことが残念ではあるけれど、アニメおたくの人と話ができるくらいの素養はあるはず。
尽きない、これがすごい。どれだけ見ても、見ても、見るアニメがない、するゲームがないなどと嘆くことはない。

文字、というものを見ない生活というのもなかなかに素晴らしいと思う。
難しい哲学書やら、ココロオドル恋愛小説、手に汗握る冒険小説、教養溢れる教養小説、その他諸々、いかにも精神修養しているぞと言わんばかりの知性主義、学問至上主義に対して、背を向けて、オタク的な生活に励む。

悪くないと思う。
真善美の追求というプラトンよろしく観想的な生活、自己啓発本よろしく意識高い系の生活、ローホーよろしくミニマル生活、色々な「ライフスタイル」があるけれど、一番人間的な法則性、つまり重力に支配された脱力的な生活は、このオタク的ニートな生活だと思っている。

 

ディストラクション。
一つの物事に対して、エネルギーを注ぎ込み、穴を穿とうとする、これは、集中、恋。
精神的な、あるいは、身体的な、または、物質的なエネルギーを一つの対象に注ぎ込むこと、それは、一種の恋であると思う。
恋、というと、loveという意味の、男女間(最近では同性間でもいいじないか、と言われているそうだけれど)の色事を思い浮かべがちだけれど、それ以上に、この恋というものは、例えば、芸術活動やスポーツに対して情熱を燃やすことだとか達成した後の恍惚感をも含むと僕は思う。

そういうわけで、恋、集中、熱中とは、正反対のディストラクション。
エネルギーを複数の、できれば無限の数の対象に対して注ぎ込むこと。
浸透圧的な、エネルギーの拡散。

 

あたかも比例関数のごとく、人やものの進歩というものは直線を描くと思われがち、または、二次関数的な放物線を描くものと思われがち。
そういう人やものも、あるのだろうけれど、上下運動を繰り返しながら、波線を描きながらだんだんと上昇して行く人やものの方が多いような気がする。
そして、僕自身、多分、後者だと思う。

常に上昇し続けなければならない、決して下降運動をしてはならないという義務感に囚われて自らに鞭打つことも大事だけれど、下降運動を許す夜逃げ承認的な考え方の方が、ぼくは好きだ。

甘えだと言われがちだけれど、何よりも大事なことは、上昇することではなくて、直線を途切らせないことだ。
途中でプツリと線を切断してしまっては何にもならない。
そんなことを、ぼくは、過労死する人たち、恐怖に隷属する人たちを見て思う。
ぼくらがなすべきことは、人々に対して頑張ることを教えることではなくて、本当に今必要なことは、逃げ場所をこしらえてあげることだと思う。

 

顔をしかめているスーパーのレジ打ちのおばさんの皺。
すごいしかめ面で、見ていることちらがなんだか、申し訳ない気がしてくる。
労働に身をすり減らす、マルクス主義かつ人類愛主義者ではないけれど、やっぱり、そういうパートのおばちゃんだとか、または海外に目を向ければ、本当に如何とも仕様がなくて乞食に身を窶すおじさんだとか、彼らに対して僕らができることは、教育を施すという啓蒙主義的な行為ではなくて、何よりも、逃げ場所をこしらえてあげることだと思う。

 

集中の素晴らしさ、恋の素晴らしさ。そんなこと、言われなくてもわかっている。
集中の効率性、対象の啓蒙、恋の推奨、こんなことを他人に施して、イイコトしていると豪語して愉快そうに笑う人たち。
ぼくは、集中対象の不干渉を提案したい。
やれ、就活のためにあれやれこれやれ、やれ、学問したけりゃこれ読めあれよめ、英語やれ、ツール導入しろ、海外に目を向けろ、こうした「先進的」な人たちばかりがどうしても、目につきやすい。彼らほど、「生活の豊かさ」を謳う人たちはいまい。

が逆に、拡散について。
拡散は集中の邪魔だからといって、あらゆる趣味をなげうって集中を勝ち取ろうとするストア的な発想が、確かに、市場原理的には正しいのだろう。
非自己を対象とする集中、金銭目的の集中。
これに、「わたし」の時間とエネルギーを大きく割いた時、社会的地位と金銭は得られるかもしれないけれど、肝心の「わたし」が空っぽになりがちではないか。
アクセサリーとブランドバッグ、おしゃれな服に身を包んだ金持ちそうで、集中を解いて啓発する彼と彼女を、試しに軽く振ってみると、からんからんと音がした。

理想。自己に対する集中と、自己のために非自己に対する集中。

 

拡散。
一度空っぽになるまでエネルギーを拡散してしまえば、あとはエネルギーの充填が自動的におこる。
下手に、エネルギーを集中し続けるよりも、むしろ、一度拡散してしまった方が、総エネルギー量は多いようなきが、この怠惰な生活を送っていると実感する。

集中しすぎてエネルギーが目減りしたとき、もっとも最適なエネルギー充填方法としての、オタク的ニート的生活。

けれど、ほんとうは、エネルギーを目減りしたいようにうまくコントロールすべきではある。