唐木机が欲しい

読んだ本のこと、考えたこと。

凡人、趣味の模索、期待の楽器。

ディストラクションっていうと気が散るとか気晴らしとかそういった、集中とか没頭とかとは反対の意味になるらしいんだけど、気分としてもやっぱりこのふたつの状態があるのかなって思う。何か一つのことに集中してコミットしてそれだけしかもう何も見えないっていう恋は盲目的な状態と、何もしたくないが何かしたいっていう矛盾を抱えつつ心の中でモヤモヤを抱えてそれこそネットニュースとかユーチューブとかをぼうっと眺めているっていう状態と。

天才っていうか、変態っていうのは、集中の状態がものすごく長く続く人かなって思う。何十年とかもはや一生ずっと一つのことに恋し続けることこそが天才の定義なのかなと思う。要するに、飽きないってこと。グリットだったかな、なんかそういう数値というか能力値が先天的に決まるみたいな自己啓発本があった気がする。天性っていうくらいだから、やっぱりこの値はどうしようもないかなって思う。

学生時代にも、なんでこんな色々知ってるんとかなんでこんな多趣味なんって少し恨めしさを感じつつも呆れ果てて憧れた人が結構たくさんいるし、本とか読んでてもどうやったらそんなに膨大な知識を頭の中に溜め込めておけるのかって不思議に思ってしまうことが結構ある。普通じゃないよね、だから、すごいっていう言葉で括って自分を守ろうとするのかなって思う。常識っていうものから逸脱した人を指して天才とかすごいとかいう言葉を使うんだから、そういった言葉が出れば出るほど自分は天才じゃないすごくないっていう事実を目の前に突き出されることになる。

天才になりたいっていう一種のナルシズムは誰でも特に若い青年によく見られる精神的な異常というほどではないけど老年になって思い返すとなんとまあ青春か見たく哀愁とともに思い出すみたいなんだけど、全然ワルイことじゃないなって個人的には思う。ただし、「天才になりたい」といっても二種類あって、一つが「俺は天才なんだけどそれを他人に認めさせるんだ」っていうものと、「俺は凡人なんだけどそれでも天才になりたいんだ」っていうもの。違いは、自分が天才だと信じているか信じていないかってこと。どちらがイイとかワルイとかは言えないし、そもそも自分が天才かそうじゃないかなんてことを見分ける機械も数値もないんだからわからないんだけど、まあ前者は楽観的で後者は消極的というかニヒル的みたいなものかなと思う。

さらばもう一度って感じで、自分が普通の凡人だって事実を悶えながら受け入れてそれでももう一度って挑み続けることが、凡人の取るべき態度かなって思う。俺は凡人だもうやめたっていう消極的ニヒリズムみたいな態度では何も生まれないから、否定の中に肯定を見出す勇気というか精神力が必要かなって思う。

 

そもそも俺は凡人なんだって絶望する人間って、そこに何かしらの不満があって本当はこうあるべきなのにこうあらぬおかしいじゃないかっていう怒りがあるから、その時点でもう今立っている地点よりもさらに上が見えてるってことになる。本当の凡人っていうのは、自分が凡人だってことを自覚しない人でそも意味では天才と紙一重なのかもしれない。

最近の自分のことを言えば、まあ今日で夏休みも終わって明日から大学が始まるんだけど、それともうすぐ成人するんだけど、自分がどうしようもない凡人だってことが痛いほど身にしみる半年がつづいて虚無感に襲われてたってことになるかな。誰かにお前バカだって侮辱されたわけでもないんだけど、とにかくとめどない自己否定というか凡人凡人のコールが鳴り止まない精神状態にあったわけで、何か一つのことの集中するってことが驚くほどできない半年を過ごしていた。最初に書いたディストラクションな状態が永遠に続く、つまり何をしていても頭の中では別の言葉が鳴り響く、テスト中でも講義中でも散歩中でも人と会話していても頭の中では全く別のことを考えてるっていうメタメタ認知的な精神状態にあったわけで、そんな中で何か一つののめり込むことのできる希望の光的なものをあるかないかもわからずに探し続けてるっていうのが現状なわけで。

何か一つのことの没頭しようとするとき、対象に対しては肯定の作用が働いてて、まあたとえば誰か人を好きになりたいなって思うとその人のいいところをずらずらと頭の中に整列させて点呼を取る。こんな感じでとめどない肯定作用が生じることで、没頭っていう状態が生まれて、没頭っていうのは価値の承認なんだと思う。これをやることには意味があるってことを信じ込む、疑わない。恋は盲目って言葉通りに、もうこの人はいい人なんだ、悪い人かもしれないっていう疑いすら生じないような恍惚状態に突入したとき、没入っていえる。これぞ、集中、恋かな。

けど、ディストラクションではそうはいかない、待ったがかかる。「ところでさっ」ていうアホみたいなお話が頭の中で構築されて、没入を差し止めるんだからたまらない。関係ない話ならまだいいんだけど、それでも没入するぞって頑張ってもうすぐいいとこだって段になるとお節介なことに、頭の中のメタ認知が「これやる意味あるの? だって論理的に考えてこの行為の帰結は...」みたいな講釈たれてくるんだからたまらない。

正直なところ、アニメとか洋画とかクラシックとかジャズとか洋楽とか日本文学、世界文学、哲学、外国語、スマホゲーム、プログラミングとかいろんな趣味というか没入対象をこしらえて取り組んでみたんだけど、なかなかディストラクションが治らない。まあ唯一治って一ヶ月くらいフルコミットできたのはプログラミングで、Ruby on railsとかイラレとか使って一つのウェブサービスを作ったのだけは没入できたなって思う。それこそ大学の授業中も、それ以外の時間早朝四時から深夜二時までひたすらコード打ち込んで楽しかった。けど、それ以外はなかなかここまで没入できていない。

アニメについていうとオタクになろうって本気で思って、片っ端からアニメ見まくったんだけど、どうも僕はアニメでヌクことができないってことに気がついて残念に思ったことがある。いわゆる美少女アニメみたいな「普通の人」が見たらぞくっとするようなコンテンツまで潜って見たんだけど、なんというか深さが足りなかった。広いんだけど、深くない。一つのプロットをなぞってるだけかなと思う。あまりに人間とその法則を乖離した物語は、うーんってなるしそこに意図があるとすれば単なる破壊だし、視聴者に奉仕するラノベ美少女みたいなものは見ていて痛く思えさえする。つまりカワイサとか萌えってさ、視覚的な誰でも快楽にはなるんだけどだから世界中で受け入れられるんだろうけど、精神的な快楽になるのは人を選ぶかなと思う。もちろん、エヴァンゲリオンとか宮崎駿作品とかヤバいアニメもあるから、これからもアニメは探求し続けるんだと思う。

実際、没入ってすごい快感が得られて時を忘れるっていうか時間とか空間を超越した、精神だけどこかへ飛んで行ったみたいな快感はやっぱり一度味を覚えるともう一度体験したくなるわけで、学生時代だとテニスの試合の時とか、ポケモンしてた時、パズドラしてた時、クラクラしてたとき、アクアリウムにハマった時、稲作してた時っていうのが没入状態の全記録かなって思う。こうした感覚は大人になるにつれて頭がよくなるって意味でだんだん感じにくくなるのかなって思う。小さい子供なんか見てたらさ、棒切れ一つで長い時間ずっと没入してて羨ましいなって思うように、頭の働きというかさっき書いたようなメタ認知みたいな自我っていうかそんな部分が発展しちゃうと、肯定作用に拮抗する否定作用が働いて、没入しにくくなるんだろうなって。

そんなわけで、最近は没入と恍惚の快感を求めて、いろんな趣味に手を出しては引いて、引いては手を出すっていうのを繰り返してまあ、これからも繰り返して行こうと思ってる。まあ悩みどころは、金がかかるってことで何かをやるにしてもやっぱりモノを揃えないことには始まらないから、金がかかる。別にブルジョアや貴族が労働者プロレタリアートに劣るとは、僕自身思わないんだけど妙な罪悪感あるなっては思う。どこかな忘れたけど、手足のない人が物乞いしているのを見てえらい悲しく悔しく腹立たしく思ったことがあって、金を使うたびにその人のくねくね頭を土に叩きつける様子が頭に浮かんでしまって、苦しくなるっていうのがある。困っている人、今も世界のどこかで人が餓死したり戦争で死んでるのに、自分だけのうのうと甘い汁すすっていいのかっていうマルクス主義というか人類愛っていうかそういう気持ちになったりもするけど僕の場合、彼らを助けてあげようっていう上から目線の態度よりもむしろ、自分が彼らよりも価値のある人間なのかっていう根源的な疑問というか叱責みたいな感情を抱く。

話を戻すとつまり、楽器でも始めようかなって思ってる。これまでやってきたことって、身体か精神かのどちらかを使うことだったら、今度は身体と精神の両方を使うモノをやろうかなって考えた結果が楽器だったってこと。ゲームとかパソコンとか、本もそうだと思うけど結局、精神を騙すことっていうか、精神の中で身体をつくりだす営みだから、身体が暇になっちゃうんだよね。音楽だけ聞く、絵画だけ見るっていうよりもその両方を結合させた映像の方が強く人に働きかけるように、やっぱりコンビネーションが大事かなって思う。片方だけなら、片方だけでもう十分だって思わせられるような強力な快感を与えるかもしくはそれだけ敏感かどっちかじゃないといけないのかなって思う。

楽器で一番やりたいなって思ったのは、ピアノでリストのラ・カンパネラとかショパンの英雄のポロネーズとか激しい曲を感情込めて引いて見たいっていう欲望があって、言語っていう容器に入らない感情とか概念を、音に入れ込みたいなって思ってたんだけど、どうやらピアノっていうのはとてつもなく難易度が高い楽器らしくて子供のうちからやってないと極まらないそう。まあそれで諦めていいのかっていう非難もあるんだろうけど、極めるっていう可能性がそもそも排除された楽器じゃなんだか味気ないなって思ったから、ギターかなっていう結論に至った。

ビートルズがすごい好きだから、語り弾きとまではいかなくても鼻歌くらい歌いながら引ければなって思う。black birdとか弾きたいなと思う。
それとギターができればジャズもかじれていいことずくめに思える。ジャズがなんかすごいらしいぜって誰からか聞いてたから、これからは音楽をやってみようと思う。